「石巻そして四国③」丸亀
岡山の少し手前辺りで目が覚める。寝台列車の夜は眠るのが惜しく朝は起きるのが惜しい。
やはり、瀬戸大橋からの景色は見ておきたいので頑張って起きる。昨晩買っておいた、二つ目の弁当を朝食に食べる。ついでに、飲み残してあった日本酒の瓶も空ける。
列車は、岡山で出雲行と切り離され、低地へと下るように走っていく。橋の手前からは今度は登りに変わり、瀬戸大橋から見下ろす瀬戸内海は、少し緑色がかって薄い板のようだ。太平洋の黒い海とは違って見えた。
山村は、昨晩メモした手帳を見直した。
”文学とは価値を生み出すこと”
「価値」と言えば、「お金」という言葉が頭に浮かぶ。確かにお金は価値の尺度と言えるだろう。希少価値があるものには値段がつく。
ただそれでは絶対的な価値の評価とは言えない。たとえば、昔のガラクタだって希少価値がついたとたんに、高額のお宝になったりもするだろう。そして高額だからということで、そのガラクタをありがたがって集める人も出てくる。それを物の価値と呼ぶには少し抵抗がある。そんなことを考えながら、ワンカップの空き瓶をビニール袋に包んでザックの奥に入れた。
大きな窓では、一定のリズムで橋のトラスが視界を遮っている。たしかに景色はきれいだが、山村はそういったものの写真は撮らない。きれいなものはきれいに写らないことを知っているからだ。きれいだと思う心までは写真には残らない。後で写真を見ても綺麗だったという記憶が蘇るだけで、写真としては実物よりもきれいには写らない。もし写真の方がきれいだったとしたら、それはカメラを疑うべきであろう。写真の面白さは、きれいでないものがきれいに写ったときだ。
ところどころに、小さな島影が現れる。そこに降りたらきっといい写真が撮れるだろうなと思う。でもそこにはいけない。
サンライズ瀬戸は、橋を越えるとすぐに香川県の坂出駅に着く。なぜかいつもそこに着くと、地面が揺れている気がする。どこか頭の中で、四国という土地は岡山側と違って海に浮かんでいるのではないかという感じがするからだ。岡山側は本州という立派な背骨に繋がっているのに対し、四国は本州から遊離した存在であるのだ。そんな揺れが、四国に到着したという実感をもたらしていた。
ガシャーン、ガシャーンとあちこちでスライドプロジェクターの切り替わる音が響き渡る。数十台のスライドプロジェクーが一斉に機織り装置のような音をたてて仕事をしている。天井の高い、体育館のような大きなスペースに、闇と光が交互に入り混じっていた。
壁には小さな画像が投影されている。ここにはプリントされた写真は無い。映像は闇の中から数秒間現れ、そしてゆっくりと闇に戻っていく。現代美術館ならではの写真展だった。作家の仕掛けられた罠にはめられてしまったかのように壁に沿って歩いていく。暗闇は観客の行動を自由にさせず、光から光へと導かれるままに動き回る。そして、ガシャーン、ガシャーンという機械音だけが忙しなく、そして自由に音を出すことが許されていた。
「皆さん、これから外にあるバスに乗ります。それで土器川まで行きますので、準備しておいてくださいね。今日は暑いですから、帽子とお水はお忘れなく。軍手はこちらで用意しますから大丈夫です」美術館の若いスタッフの女性が、まるで遠足に出かけるかのような楽しそうな声を出した。
控室に集まっていた40人のワークショップの参加者は、静寂から解放されたせいか、ガサゴソとパイプ椅子を動かしたり、カバンを開け閉めしたりして音をたてた。現代美術館特有の巨大な階段を、横並びに一斉に降りて外に向かう。吹き抜けを過ぎると大きな広場に観光バスが一台止まっていた。
「いやあ、いい天気だなあ」と、誰ともなしに声が聞こえた。どちらから来られたのですか?とお互いに聞いている人達もいる。
「ほんと暑いですね、私はここに来るまで、朝7時から4時間かけて歩いて来たんですよ」と、山村は隣を歩いている人に声を掛けた。
「へえ、いったいどこから来たのですか?」
「このずーっと先の、観音寺というところからですよ。もう暑くて暑くて」
「そうですか、私は大阪から来ました。土器川って土器でも出るんですかねえ」
「さあー、どうだか」
山村はそう言いながらバスに乗り込んだ
案内のスタッフが気さくに話かけてくる。
「それにしても丸亀の美術館はきれいで立派ですねえ。それもこんな駅前にどーんとあって」と山村が尋ねた。
「でも、もう建てられて25年近くなるんですよ」
「そうなんですか、びっくり。てっきりまだ建てられたばかりかとおもいました。さすが現代美術館ですね。価値が色褪せていかない」
「ですよねえ、斬新さっていつまでも斬新であり続けることに価値があるわけで、そう言って頂けるとうれしいです」
山村は、真ん中辺りの窓側の席を選んで座った。次々と参加者が乗り込んでくるなか、最後に入ってきた主催者である写真家の岩浪さんが少し席を見回しながら私の横に立った。
「じゃあ、ここかなっ」と言って山村の隣に座った。
「東京から寝台列車に乗って来ました。よろしくお願いします」と山村は言った。
「そうなんですか、わざわざ遠いところからありがとうございます」と岩浪が答えた。
「私は昨日、仙台から新幹線で来たんですよ。まだ子供が小さくて飛行機乗れないからね。
大変でしたよ」と岩浪は言った。
「私は、昨日の夜は観音寺の海岸でテント張って泊まったんですよ。ちょうど岩浪さんの好きな松林の中で」
「そうそう、私が岩浪さんを知ったのは、ちょっと前に読んだ松林の新聞記事だったんです。私も仕事で名取市に行きましてね。調べたら今、丸亀で個展をやってるってわかって」山村は一息にそう話した。
「ええ、読んでくれる人いたんだ」と、岩浪はちょっとびっくりしたような顔をした。
バスは、丸亀城の近くを通り過ぎた。
「それに、私、石ころも好きなんですよ。でもどうして石拾いなんですか?」山村は尋ねてみた。
「うーん・・・ やってみたら面白いかなって」
「写真集にも、石の写真がたくさんありましたよね。岩浪さんにとって石ってなんですか?」
「何だろう? 石がそれぞれ自分の鏡のように何かその中に映し出してくる。皆さんがどのように思っているかを聞いてみたかったんですよね」
「ああ、岩浪さんはいつもそうやって、人を自分の作品に巻き込んで行かれるんですね。だから岩浪さんからは、何かエネルギーみたいなものを感じるんですね」
バスは土器川の堤防沿いをしばらく走った。少し道が広くなった場所に着くと、まるで潮干狩りにでも出かけるかのように、軍手とレジ袋を携えた参加者らが、次々と川原の中に静かに消えて行った。
バスの中で岩浪さんがマイクで伝えた、
「自分らしい石を拾ってきてくださいね」という言葉と共に。