「石巻そして四国②」寝台列車

拝啓 岩浪江理子様

 先日の、「石拾いワークショップ」のバスの中で相席させて頂いた、山村という者です。岩浪さんと直接お話しができたこと、わざわざ丸亀にまで足を運んだ甲斐がありました。それに、Mimocaで働く熱意溢れた若いスタッフの姿を見ることができ、炎天下の四国の道を歩き、最後は「一鶴」の骨付き鶏と冷たい生ビールと、充実した03日となりました。そんな出来事が、自分の中のちょっとした偶然から始まっていることをお伝えしたく、メールさせて頂きます。

 発端は今年の3月のことです。私が沿線騒音の出張で、名取市10日間ほど滞在していたことがきっかけとなります。私が大震災以後に東北の地を訪れるのは、このときが初めてでした。滞在中も近くの閖上地区を回ったり、出張の後には、石巻市まで足を延ばしたりと、被災地を歩いてきました。そこで、私にとって遠い存在だった東北大震災というものが、急激に身近なものとなり、実際にその「土地」に足を踏み入れること

によって取り込まれてしまうような繋がりを感じたものです。

 

 そして、東京に戻った翌朝、新聞を目にすると、つい先日まで自分が訪れていた名取市の記事が出ているのを見つけました。そこで岩浪さんのことを知ったわけです。私も趣味で写真を撮っていますので、その記事はとても興味深く読ませて頂きました。

そこに書かれている、「松林に惹かれてその土地に棲みついた」というちょっと変わったエピソードですが、それと同じことを言った人がいるのです。

 

 それは、高橋たか子という人の小説の中に出てきます。小説では、フランソワ・モーリヤックを敬愛する女性が、彼の代表作である「テレーズ・デスケルー」の舞台となっているフランス・ランド地方を訪れます。そこは、大西洋に面する荒寥とした寂しい松林の土地ですが、身体感覚と現実世界に違和感を抱えていた主人公は、松林に惹かれて、そこに棲みたいと考えるのです。岩浪さんの内臓的感覚世界とも何か繋がるところがあるように感じます。そんなことがきっかけで、岩浪さんの写真展を見てみたいと思ったのです。ネットで調べると、現在、丸亀市において五年ぶりの作品展が開催され、さらには、岩浪さん自身による「石拾い」のワークショップも開かれるというではありませんか。私は日頃から石拾うのが好きで、すぐにこのイベントに応募したのです。その後丸亀市の美術館から当選の葉書が手元に届きました。

石にたいする私の思いは、バスの中でお話ししたとおりです。

以上長くなりましたがお礼まで。   

            敬具  山村優

                    

 03日といっても、べつに寝ないで過ごしていたわけではない。

片道23000円する寝台列車に乗り、何も知らない作家の写真展に四国まで足を運ぶという辻褄の合わない旅行に、説明をつける自信はあった。いや、むしろ辻褄は後からついてくるものであろうという自信であったのかもしれない。そういう無謀というか、確実な考えを持って四国行きに踏みきった。幾つもの引き金が、自分の中に溢れていたからである。

 

 寝台特急サンライズ瀬戸は、潜水艦のようである。今回は、下階の部屋しか取れなかったので一層そんな気がした。車内には、一本の細長い廊下が見えるだけで、窓もない。本当は曲面を描いた大きな水槽のような立派な窓があるのだが、廊下の両側は全て壁だ。その中がすべて小さな個室になっている。だから車内には乗客の姿が見えない。共用の洗面所もトイレも全て壁の中に収まっている。

 個室の空間は、ちょうど今回自分が持ってきた山岳用テントと同じくらいのサイズであろうか。山村は、ザックの中から荷物を全て取り出して、テント泊のように隅に並べる。こうすることで自分の部屋になった。

 ベッドの上に、出発間際に買った半額の海鮮弁当を広げ、まずは缶ビールを開ける。部屋着がわりに、東京駅ナカユニクロで買った短パンに着替える。壁のFMラジオのスイッチを捻り、人の声を聴きながら東京駅を夜の10時に出発した。最初に止まる駅は横浜だ。ここでは窓のロールスクリーンブラインドを降ろすことを忘れてはいけない。何しろ、週末の駅のホームで立ち並ぶサラリーマンからは、個室内の一人宴会が丸見えになるのだから。

下着姿でベッドの上で一人飯を食っている姿を見られるのは、ペットショップに並んだガラス越しの犬を思い出す。

 サンライズ瀬戸は、大船、小田原、熱海と在来線の線路の上を、日常的な空間を乗せて走り抜けてゆく。山村は、足を伸ばして壁に寄りかかって外を眺めた。深夜のホームには、もうお客は残っていない。ロールスクリーンも上げたままで大丈夫だ。時間はたっぷりある。何もすることはない。頭に思いついた言葉を手帳に書く取ることしかすることはない。窓の下に並べた、日本酒や、ウィスキーを順に空けてゆく。四国のガイドマップを見ながら翌日の行程を考えながら寝る。

 山村が、四国を訪れるのはこれが二度目である。一度目は、7月の高知を歩いた。海岸特有の蒸し暑さで、服は汗でびしょびしょになった。その頃は、まだ旅慣れていなかったせいか、服装はジーパンと生地の厚い綿のシャツで、懲り懲りしたのを覚えている。でも、そんなふうにして四国の猛暑を歩いてみたかった。そんな古い日本の映画が頭にあったからだ。

 山村は、その「旅の重さ」という映画を、丸々録音してipodに入れていた。夏はそれを聞きながら歩くのが好きだった。その映画の舞台である四国を歩けるのは、格別だった。炎天下の巡礼、旅の田舎芝居一座、主題歌となっている吉田拓郎の弾き語り。そうやって、気を失うほどの暑い四国を歩いてみたかった。そして、その時もこうやってサンライズ瀬戸に乗っていた。