客観と主観

 なぜ、人は自分の分からないことを、他人のせいにするのだろう?

その答えは、「自分が分からないことを、他人のせいにしている」ことに気づいていないから。

つまり、人は分からないことを認めないという心理が働く。

そして、分かったことだけを、現実や事実や真実と認識する。

その認識に対して、他人が違う認識を持ち込んだりすることがある。

「そうじゃなくて、こうなんだよ!」

当たり前。人がそれぞれ違う認識を持つのは当たり前のこと。

それを大前提に持っていない人は、ややこしくなる。

 

 客観的とは、自分に対して客観的であることだと考える。

自分に対して客観的になれない人は、他人を批判するだろう。

そして、揉め事になる。

それは、「他人を批判」することと、「他人の意見を批判する」ことの擦れ違いがそうさせる。

その人が考えている論理ではなく、その人そのものを攻撃するのは、人の在り方である倫理の問題である。

論理と、倫理がごっちゃになっている議論はいつまでたっても終結しない。

 

 人は、相手の論理を理解していないことを、自ら隠蔽してしまうだろう。

それが、「気づいていない」という状況を自分自身に作り出していると思われる。

この、「気づかせないように」している状態を、主観的と呼ぶのかもしれない。

主観的とは、その人の恣意的で意識的な作用が強いことを指すのではなく、

自分への掘り下げが弱いことなのではないか。

「気づいていない」という地層をさらに掘り下げることで、

客観という地層に到達するのだと思う。